【ひねくれロジカル人間大竹】イベント21という 最高にブイてる組織に属するまで
皆さん!こんにちは!
イベント21入社一年目の埼玉支店大竹です!
今回は私大竹がイベント21に舞い降りるまでの過程をつらつらと語っていこうと思います!
【幼少期】
大竹人生最古の記憶は3.4歳のときでしょうか?
当時地元では夏に海でジェットスキーのお兄さんたちが暴れる【船の博覧会】なるものが毎年行われており、
地元では大きなイベントの一つでした!
僕はそのお兄さんを挑発しまくるのが大好きでここでは口はばかるコンプライアンスにひっかる行動の結果
並外れたドライビングスキルのお兄さんに塩水をかけられて大泣きしていました。
あの時から人を馬鹿にするのはよくない事だと身をもって学んだと思います。

【小学~中学時代】
この時代に一番戻りたいと思いますが、本当にどうしようもなく怠惰で何もできない子供でした。
学校の宿題に次の日の時間割、何一つできない僕は学校では浮いた存在でした。
できない事を改善もしようとせずに時だけが流れる、ただ小学5.6年になると音楽祭の指揮者をしたり、学習発表会の劇の主人公をしたりと最前列に立つことが増えてきました。
そして中学になると部活の部長をしてチームを全国大会まで連れて行くなどの
ありがちな偉業を成し遂げるような少年に成長していました。
この時ぐらいから【自分は誰かを引っ張っていく存在なのか?】と思うようになりました。
【高校時代】
しかし現実はそうは甘くなく勉強を全くしてこなかった僕は、県内屈指のド底辺高校に通うことになります。
ただこの学校が僕の人生を大きく変えたと本当に思います。
その学校は水産学に特化した学校で行内のプールの深さが2mあったり
学校の行事では50日間かけて船でハワイまで渡るなど、普通の高校生では体験できない一生忘れない経験ができました。
ハワイの街並みや360度見回しても海しかないこの異世界感…


【地獄の社会人生活】
ここからが本当に辛く今でも忘れたいと強く思う時間です。
僕はイベント21に来るまで3社の組織に属していましたが、
全員が主体性に欠ける人たちの組織であったり、新人に罵声しか浴びせないような人だったり
絶対に戻りたくない時間でしたが、そんな場所でメンタルはかなり鍛えられました。
どんな環境からでも学ぶものはあるのだと、この時に思うことができて結果的にすごく意味ある時間を過ごすことができたのではないかと今では思います。
【イベント21という組織】
社会人ももうすぐ4年目に差し掛かろうとしていたころ、僕の心の中では【人生はこんなもので本当にやりたいこと、幸せをつかめる人はごく一部なんだ】とずっと思っていました。そんな時に友人に【大竹は思考が深いんだから今の環境でとどまるのは勿体ない】と言ってもらい、自分の中で本当に幸せを見つけられる場所を探してみようと決意しました。
色々な事を言い訳をして諦めてきた怠惰な人間ですが、イベント21を見つけて
こんな環境で働きたい!と心から思い、自分の自己アピールなど人生の中で初めて本気で考えました。
その結果イベント21という最高の組織で僕は今自分の人生を振り返るブログを書いています。
この記事を読んだ人に伝えたいのは【どんな場所からのスタートでも自分の行動と想う力があれば自分が望んだ未来に近づける】ということです。
今が辛くてもそれは未来が辛い事の理由や根拠にはなりません。
皆さんも人生これからです。頑張りましょう!どんなことでも思い続ければ叶えられます!
以上!せっかく生きるなら楽しく未来にワクワクしていきましょう!!!